Memory of my old scooter
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愛車
四輪の免許を取得する前に、二輪の免許を1994(大学3年)の夏に取った。
(ちなみに四輪免許を取ったのは、大学院1年の春だった。)しかし、教習代で
ほぼ全財産を使い果たした私は、250ccや400ccのバイクを買う金がなく
(任意保険料の支払いさえ無理だった)、仕方なく良くプッツンする友人H氏から
セピアZZを購入。冬になっても雨と雪の日以外は
学校通いなどのためにほぼ
毎日乗っていた。(いいグローブを持っていなくて、運送バイト用の軍手を
使っていたのを、思い出す。)年が明けてから、ボート部で長い間、同じ艇に
乗っていた友人のO氏の手によって、セピアZZは復活不能となった。
その後、O氏からの援助もあり、ホンダのリード90(新車)
を購入した。そして、現在に至る。
これまで、このリード90でいろんなところへツーリングに行ったりもした。
これまでのリード90での全走行距離、約23,000KM。
この度、私の国外追放に伴い、長い間心から愛し続けてきたリード90を
大学2年のとき同じクルーだった友人のA氏に譲渡することになり、
今までのリード90との想い出をここに書き綴ることにした。
長い間、日本にいる間はほぼ毎日乗っていたリード90を手放すのは、
本当に辛いことである。新しいオーナーとなるA氏にも、是非、
大事に使ってもらいたい。
(
ところが、譲渡する一日前、研究室からリード90で帰ろうとした
私は、リード90がいつも駐車しているところにないのに気が付いた。
キャンパスのまわりをぐるっと探したが見つからない。
その前の日は研究室に泊まりで、つまり乗ってきたのは前日の朝だった
のだが、「昨日の朝は雨が降っていて電車で来たかなぁ?」と、そうで
あることを祈りつつ電車で家に帰ってみるが、家の前にもない。ない。
ない。ない。盗まれた。 警察に届けるが、まるで
私が悪いことをしたかのような対応に、滅茶苦茶腹が立つ。見つかっても
まともな状態ではないだろうし、出国がもうすぐなのでどうしようもない。
結局、A氏に事情を説明する電話をいれる。それにしてもなんということだ。
こんなことなら徹夜なんかするんじゃなかった。そして、盗んだのは一体
誰だ。見つけたら絶対ぶん殴ってやりたいが、そんな事を言っても虚しいだけだ。
)
愛車リスト
- セピアZZ、1994秋-1995春
- リード90、1995春-1998夏
ツーリングの想い出
- 秩父ツーリング
(リード90)
これがリードでの初めてのツーリングだったと思う。3月の終わり、まだ肌寒い時期
だったが、秩父湖に向かって出発した。254から16号に入り、更に299に
入って、まず正丸峠にむかった。正丸峠は今、トンネルが走っているが、
「トンネルなんか通っちゃ、面白くないぜ。」と思い、旧道を登っていった。
すると、だんだん路肩に雪があらわれ始めた。さらに登っていくと、今度は道路
一面、雪となった。あれは、怖かった。数台、車が通ったタイヤの跡があったので、
降りるときはエンジンをとめて、そこをゆっくり降りていった。
正丸峠を越えて299から140に入り、しばらく走ってやっと秩父湖に着いた。
しかし、寒い中ずっとスクーターに座っていたので、足が曲がったままちゃんと
のびず、思うように動かない。
防寒対策として、ジーパンの下にジャージをはいていたのだが、
全然、あまかったようだ。
秩父湖畔を歩いているとき、二回くらいこけてしまった。
帰りは、正丸峠もトンネルを通り、真っ直ぐ帰ってきた。
教訓、防寒対策は万全にしよう
- 伊豆ツーリング
(リード90)
これは、7月だった。学校帰りとか突然雨が降っても大丈夫なように、
大山のバイクショップみたいなところに(254沿い、ちなみに私の家は
上板橋の254のすぐそば)
かっぱを買いに行ったのだが、するとその帰り、雨が降ってきた。
「これは、かっぱの性能を試すチャンス!」などと、馬鹿のことを考え、
何故か環七を通って、横浜方面へ走っていた。
もう3時くらいだったような気がする。
途中、雨はやみ、天気は良くなっていた。「折角だから、鎌倉に行ってみよう。」
(北海道出身の私は、関東の観光地みたいなところに、
ほとんど行ったことがなかった。)と、鎌倉に向った。鶴ヶ岡八幡宮とかを
見てまわって(歴史のある、建築物とかを見るのは、結構好きなのである。)、
「ここまで来たら、小田原の方にいってみよう。」などと思い、134号&
1号をずっと西へ向った。小田原に着くと、「熱海に行ったみよう。」と、
なぜかもう日が暮れかかっているのに、何かに突き動かされているかのように、
どんどん遠くに走っていってしまった。135号を南下して、熱海・伊東も
通り過ぎて行った。
(途中の真鶴道路という有料道路は、なかなか景色がいいと思う。
でも、風が強く、スクーターだと飛ばされそうになる。)
気が付いたら、下田だった。
伊東を過ぎてから、雨も再び降ってきた。
もう、夜10時近い。
迷った末、下田の安い旅館を見つけ、一泊することにした。
なんて無計画なんだろう。
次の日、起きてすぐ伊豆半島を一周すべく、走り出した。
国道135&136号だけじゃなくて、本当に海岸に一番近い道路を
ずっと走り続けた。
非常にすがすがしかったのだが、途中、雨がまた降ってきた。
今度のは、滅茶苦茶強い。
前がまともに見えない。
道路のわだちがでっかい水溜まりとなっていた。
しかし、買ったばかりのかっぱはなかなかすごい。
まったく、体は濡れなかった。(そういえば、これがこの旅の目的だった。)
途中、雨はやんだ。
沼津から1号で箱根を登り、芦ノ湖へ向った。
芦ノ湖へ着く直前から、天気は快晴となった。
最高の気分である。
そこから、138号を北上。山中湖についた。
富士山が、本当にきれいに見える。
こうなると、登ってみたくなるのが、人間である。
富士スバルラインから新五合目まで登った。
やはり、富士山の5合目まで登るのは、リード90ではかなり辛かった。
アクセル全開にしても、30キロでない。
一度、眺めを見ようと止ったら、もう走り出せなくなってしまった。
押しながら走って、勢いをつけてから乗ったら再びなんとか、走り出した。
(良かった。)
この後は、139号&20号&環八&254号を通って真っすぐ帰ってきた。
めちゃくちゃ、無計画な旅だった。
- 石巻ツーリング
(リード90)
理工ボート部の新人合宿を宮城県石巻市でやるということで、
リードで見に行くことにした。朝6時くらいには出発したと思う。
海岸の方を走りたいと思い、環七から4号ではなくて6号に入り北上。
途中、道を外して霞ヶ浦を一周した。
51号に入り、北上。大洗あたりの海岸でちょっと一服した。
大洗には北海道の室蘭からフェリーが入っている。
室蘭ナンバーのトラックが多かった。
それから、245&6号を使って、さらに北上した。
はっきりいって途中から、ケツが痛い。信号待ちの時は、お尻のマッサージをする。
とにかくひたすら北上。
私は、「関東ツーリングマップ」しか持っていなかったので、いわき市から
北は地図に載っていない。
買えばいいのだが、貧乏根性が染み付いている私には、それが出来ない。
ひたすら北上。4号と合流。仙台に着いた。
そっから、石巻までの道が良く分からない。
近いと思っていたが、結構距離がある。
「こっち行けば近道かな?」と、一度道を外したら、田んぼ道を走るはめになった。
このへんから、頭が疲れて、運転が滅茶苦茶になっていった。
信号無視もしてしまったような気がする。(今、考えると危険だ!)
国道に戻って、あとは標識通り、石巻を目指した。
石巻に着いたのは、7時くらい。着いたはいいが、漕艇場が分からない。
地元の人も知らないという。何故?
地図を立ち読みして調べようと思ったが、本屋の親父に怒られる。
結局、電話して先に来ているヤツに、迎えに来てもらった。
その日の走行距離はたくさん寄り道したため、510KM。よく走った。
帰りは、4号を使って、真っ直ぐ帰った。
4号って、それにしても他の車が滅茶苦茶、スピードを出す。
ばんばん、抜かれるのが怖くて、こっちもスピードを出すのだが、
こっちが80キロで走っていても、むこうは100キロ以上出しているようで、
どうしようもなかった。
そうこうしているうちに、人気のないところで、ガス欠するし。
バイクを押しながら、4・5キロ歩いた。はぁー。
何はともあれ、無事、家にたどり着いた。
帰りの走行距離は400KMくらい。疲れた。
- 奥穂高ツーリング
(リード90)
これは、10月だったと思う。友人のムーミン・N氏と奥穂高方面へのツーリングを
計画した。(彼のバイクは、Bandit 250)。
前の日から、N氏は私の家に泊り、朝早く出発。
なぜか、最初に秩父に向った。正丸峠はトンネルじゃなくて、旧道を行った。
さすがにまだ、雪はなかった。
「秩父ツーリング」を、思い出したりした。
秩父湖に着いた後、ちょっと戻って、中津川沿いの道路を北西に向った。
ひどい道路だった。中津川林道じゃなくて、金山志賀坂林道を通って、
志賀坂峠に向う。
途中、トラックとすれ違ったのだが、トラックとバイクがすれ違う幅がない。
私達は多少山側の斜面を登り、その間に、トラックに通りすぎてもらった。
「あんなとこ、トラックは通るな!」と、言いたい。
私より、N氏が辛そうだった。
299号に出て、志賀坂峠・十石峠を越え、佐久町へ。
それから、更に299号で麦草峠に向う。
この道は、標高が高いせいか、やたら寒い。途中、雪もちらほら。
(積もるほどではない。)
N氏は、マフラーを使っているが、私は持っていない。
あまりの寒さに、着替用のトレーナーを首に巻いた。
途中、八ヶ岳登頂用みたいな建物があって、そこでホットミルクを飲む。
これはうまかった。体の芯まで冷えているときの、ホットミルクは最高である。
休憩後、さらに西へ向かった。
20号に入り、諏訪湖に到着。湖岸を走って、漕艇場を発見した。
さらに、塩尻峠を越え、塩尻市へ。この辺で、晩飯を食う。
もう、6時をまわっている。
「腹が減っては、ツーリングは出来ない。」とかいって、焼き肉食い放題に
入った。
パワーをつけ、それから松本市をショートカットして、158号で安房峠を越える。
この峠が、すごい。外灯はないし。リード90はライトが弱いので、
なかなか前が良く見えない。
また、後ろのN氏のライトが、バックミラーで反射して、私の目に入ってきて、
まぶしい。
本当に疲れた。
なんとか、平湯温泉に着く。
もう、9時はまわっている。
「新平湯温泉に着いてから、宿を探そう。」という話になって、また出発するが、
非常事態発生。
N氏が、止っているとき外した眼鏡をかけ忘れ、落としたという。1・2キロ戻って
見ると、車に踏まれて粉々になった、眼鏡発見。
「とりあえず、今日はもう休もう。」ということになり、宿を探す。
ところが、紅葉の季節で、なかなか空き部屋が見つからない。
10件以上まわったが、駄目。
野宿を覚悟したとき、「湯ノ平ホテル?」というところで、
私たちを不敏に思った従業員が、従業員用の部屋に、泊めてくれた。
本当に助かった。(本当に有難うございました。)
温泉で疲れをいやした。
次の日、すぐ起きて、新穂高温泉郷を目指す。ロープウェーに乗った。
もやがあり、ちょっと眺めが悪かった。
そのあと、平湯温泉を通って、平湯峠、そして乗鞍スカイラインへ。
標高2700メートルだが、勾配は比較的緩く、なんとか走れた。
展望休憩所あたりには、高山植物みたいなのが多い。なかなか、いいところだった。
後は、158号&19号&20号&環八&254号で帰宅。
厳しかったが、楽しいツーリングとなった。
2日間、走行距離、約750KM。
- 千葉・野島崎ツーリング
(リード90)
これは、いつくらいだったか覚えていない。昼前に、N氏を招集。
千葉方面に向う。14号&16号で、千葉市方面へ。
千葉市を越え、富津岬へ。ここは、運送バイトの時、配送のついでに来たことが
あったが、なかなかいい場所で、私は好きだ。
465号&127号を使って、さらに南下。
千葉も、千葉市を過ぎると、本当に田舎の景色になる。
途中N氏が、「後輪がペチャンコだよ。」と、私に言う。
そういえば、なんか後輪が横滑りするような感じでおかしいと、
思っていたのだった。
案の定、ガソリンスタンドで空気を入れても、すぐ抜ける。「パンクだ!」
しかし、このまま帰るのは、しゃくである。
そのまま、突き進む。なんて、無謀なんだ。
館山を過ぎ、410号に入り、野島崎へ。
着いたのは、6時過ぎ。
海岸で、ちょっと遊ぶ。しくじって、波をもろに浴びる。
私は、びしょびしょ。
晩飯を食べ、帰路につく。もう、7時を過ぎている。N氏は次の日、会社だ。
私だって、研究室がある。
ひたすら、東京目指して帰るが、パンクのせいもあり、
私のペースが上がらない。途中から、横滑りがかなり激しくなった。
更に、前の日2時間くらいしか寝ていないので、私は眠い。
しかし、眠気を吹き飛ばし、集中力を高め、ひたすら東京へ。
家についたのは、11時過ぎだった。無事で、なにより。
教訓、事前点検は大切!
- 榛名・赤城ツーリング
(リード90)
これは、私のリードでのツーリング卒業式となった。5月下旬。
17号大宮バイパスを北上。ひたすら、17号。
途中、N氏と何度かバイクを交換した。
高崎を過ぎてから、榛名山への道にはいる。
かなりの、急勾配。
私の体重が多少増えたこともあってか、リードは苦しそうだ。
なんとか、最高点へ。
榛名湖畔で、ちょっとくつろぐ。
次に、伊香保を通って、赤城道路を登る。最高点には建物一つだけ。
ちょっと期待ハズレだった。
大沼のところで、ちょっとくつろぐ。もう、6時をまわっている。
赤城スカイボルトラインを使って、降りていく。もう、真っ暗。
外灯はない。道は滅茶苦茶狭い。時々、対向車が来るときが、かなり怖かった。
何とかくだりきる。
それから、17号に入る。
前橋辺りで、晩飯を食べ、あとは17号をぶっ飛ばして帰る。
家についたのは、11時半近かった。
「これが、最後にツーリングか。」と考えると、いつまでも終わって
欲しくない気分だった。
このほか、神流湖、妙義山・碓氷峠、奥多摩、銚子・九十九里など、いろんな所へ
行った。今になってみると、どれも本当にいい想い出である。
Kenichi Hatakeyama
Last modified: Mon Jan 21 14:51:50 EST 2002